構造主義者になれば良いことだらけ?

構造主義を一言で説明することはできませんが、構造主義者になれば悩みなんて解決できるし、悩むこともなくなる。学力の無い僕に、それは言いすぎでしょうなんて言わないで。僕は、構造主義をなんとなく解った気になっている。そんな構造主義のわかったふりのようなもんでも、今まで悩んでいたことや、心や脳が捕らわれていたことが消しとんでいってしまった。この感覚、いつもと違くてさ、無理して気丈に振舞ってるわけでもない感じです。誰かに悩みを打ち明けて共感できる返答を得た後の一時の解放感とも違う感じ。

その構造が言語をつくり、思考の枠組みを作る。そう捉えると日本社会や個々人の性格、男女関係、あらゆるコミュニティの問題が明瞭に見えてくる。そうすると問題を解決するのも簡単じゃん。学者さん、僕が言っていることは間違ってますかね?

大学に入学した頃、1年生の時に文化人類学を単位取得科目の1つにしたんだが、レポート提出後の講評で「君は何を言いたいのかわからない」って再提出を何度もされたんだよな。まあ、引用だらけのレポートだし、意味も解らないで引用を繋ぎ合わせた作文だったから再提出になるのは当然だったんだけどね。それは兎も角、当時の僕は、他の学問に比べて文化人類学は難しいなって所感はあった。

当時、文化人類学の教本を読んでて構造主義っていうキーワードがあって、かっくいい名前だなって思って調べたことがあったけど、その時は意味がわからなかったし、少しも興味が持てなかった。サイードのオリエンタリズムは面白そうだなと思ったけど、翻訳書や関連書籍を読んでみたが、これ数百ページも読むほどに意味があるのかなと疑問をもって挫折した。結局、文化人類学では「日本の宗教について」と「文化相対主義」のレポートを提出し、なんとかC評価で単位取得はしました。

う~~ん。ここで俺は何が言いたいんだろう。ただの備忘録でしょうかね。

今日、本を買いに行くついでに長男がドラゴンのおもちゃが欲しいって言っていたことを思い出して、本屋の隣におもちゃ屋があったから、ドラゴンに似たおもちゃを買いました。

夜、袋を開けてごらんって渡して、長男は「何これ」って言いながら袋を開けると、「あ~~ドラゴンじゃない~」って言って、「ドラゴン買ってよ~」って言われた。でも、今日の長男はいつもと違った。僕は一人部屋に行き本を読んでると、僕のところに来て、ドラゴンの話しをしにきた。僕が一人でいるときは僕が邪魔されたくないの息子はわかっているけど、ドラゴンの話しをしにきた。でも、その話しかたが、ありがとうっていうニュアンスと仕事頑張ってねっていうニュアンスとパパと一緒にいたいよっていうニュアンスが感じられた。たぶん、たぶんだけれども、今日は、父親としての儀礼のプレゼントに優しさのようなものが付与されたんだと思う。いつもの、ただの形式的なプレゼントでは無かったんだと思う。

僕は、物や金で子供を可愛がっているってことはわかっている。以前だが嫁さんから子供に見抜かれているって言われて、そういえば他の人にも同じようなこと言われたことがあったな。そういうこと言われても別に気にしてないんだ。だって、それくらいしか僕にはできないって自覚してるからさ。開き直ってはいませんよ。

でもさ、今日の長男との触れ合いは心地良かったな。プレゼントに優しさを込められたから。どうやって優しさを込めれたかは解らない。解らなくてよい。ただ解っているのは、構造主義を解ったような気になっているだけ。

まてよ、解ってしまった。別に解りたくもなかったけど。

下心が無いからだ!

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