今日は人生で初めて彷徨う実験をしてみた。
まずは会社に行き、読みたかった漫画をバッグに入れて、車で出発。一体、どこへ向かうのか。それは解らない。
信号と接触するごとに、右に進むか、左に進むか、直進するかを瞬時に決める。そういう実験。
それを繰り返して、どこまで彷徨い続けるのか。心の奥深くに眠る欲望が見つかるかもしれない。
実験の記録として車内にアクションカメラを設置した。

信号に接触するまでは、どこに行きたいとか考えないようにするため、空想に耽りながら運転をする。
どうやら信号に接触しても曲がることは、ほとんど無かったようだ。まず向かった先は菖蒲白岡インターだった。

きっと、どこか遠くに行きたいんだろう。
インターから中央道に入り、茨城方面へ向かった。
嫌な予感がし始めたのは実験を開始してから1時間くらいだろうか。行きは良いが、帰りがヤバいんじゃないかと焦り始めた。このまま中央道から常磐道に乗ってしまい、東北地方のほうに向かってしまったら、夜になってしまう。
後先のことを考えてしまう冷静さという邪念。
消極的な気持ちでつくばインターで降りてしまい、ファミレスの駐車場で一休み。
この閃いた実験を有意義な結果にはしたい。そんなことを考えながらスマホをいじり続けて30分。
電話の着信が鳴る。
液晶に表示された文字は「お母さん」。
コロナは大丈夫かと言われ、自分も仕事も問題無いと答える。
お母さんの状況を尋ねてみた。ノブちゃん(旦那さん)が4月30日に無くなったと。持病の血液ガンで。入院してたが病院のコロナ対応のため面会謝絶だったようで、ノブちゃんの希望で自宅に戻ってからのことだったようだ。
ノブちゃんの息子さん、 一緒に暮らし続けていた俺の弟は、もう供養には行っていたらしい。
俺も供養に行かなくちゃと思い、お母さんに顔も出しておこうと思ったので、今日の実験のことを話し、一応、時間はあると伝えた。
そして、宇都宮に向かうことになった。
ノブちゃんと会ったのは数えるほどだったが、仏壇と遺影の前に立つと、悲しさが込み上げてきた。
お線香をあげる。
お母さんと2時間ほど話した。再婚した頃のこと、俺が中学生だった頃の事、この仕事を始めた頃のこと、今の仕事の状況のこと。ノブちゃんが俺に対して思っていたこと。再婚してから俺とお母さんが会うことが無くなり、それに対してノブちゃんが申し訳ないと思っていたこと。その申し訳なさを俺は知っていたこと。知っているのに生きている時に別に気にしてないよと伝えれなかったこと。
お母さんが一人になるから心配だけど、弟が夏には大阪から宇都宮に引っ越すらしい。
もう帰るねと伝えた。
最後に、もう一度だけお線香をあげる。はじめのお線香の時より長く黙祷をする。
ノブちゃん、俺は再婚のことは気にしてなかったからね。それから俺はノブちゃんと出会ってから成長できたことがあったんだよと。
黙祷の内容をお母さんに伝えたら、お母さんは微笑んだ。
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